昭和48年04月16日 春季大祭



 お父さんが亡くなられました。九十三才でしたでしょうか、四才、五才。それから久留米の支部長でありますところの、佐田さんところのおじいさんが亡くなりました。こちらももう八十近い高齢でした。この十三日には、伊万里の支部長の、いわゆる伊万里市長の、竹内先生んところのお母さんが亡くなられた。明日その告別式をここで致します。もう真に有り難い、有り難い、有り難い告別式ちゅうと、ごへいがありますけれど、実に有り難い告別式ね。
 丁度十三日の朝の御祈念をさして貰って、朝の御祈念の御理解を皆さんが頂いた。なかばになんかここに座っておる、ざわざわしておる、ちょっと話が途切れましたけれども、北野の堤清さんという大変熱心に一家を上げて信心をしとります。はっ清さん清さんというて、時にはもう返事がなかった。心臓麻痺、あっという間でした。ここで亡くなった。私は御理解だけは終わらして頂きましたけれども、そこに病院がでけております、お医者さんに来て頂きました。心臓麻痺でした。
 ですからお年寄りが亡くなった、もうほんとに九十にもなってから、亡くなったから有難い、若いから有り難くないと言う事はない。清さんはおかげを頂いた、十三日といやここの、言うなら神様の願いが成就する日として、十三日は大変大事に致します。沢山の人が集まって、教会の内外の、御用やら、一時からは、四時まで信心の共励をさして頂く、もうこの日だけは、神様の願いが成就する事の為に、奉仕をさせて頂こうという有り難い大事な日です。
 しかも三代金光様が、お国替えなられたおんなじ日に、おんなじ月のおんなじ日にお国替えを頂くなんて、お道の信心頂いとって、こんなに有り難い事はない。ただいわゆる会別離苦の悲しみと申しましょうかね、お互い肉体を持っておりますから、肉親のものと分かれる、心安い人と分かれる、それは限りない寂しい事であり、悲しい事ではあるけれども、実を言うたら有り難い事。
 まだ三十七歳という若さで、しかもね、御理解を頂き頂き、ここで皆さん御理解を一生懸命こうやって書きます、丁度御理解を五行書いて、五行書いてそれが最後。そのまま、がたっとこういった。私はほんとに日頃の信心、私はあの今朝からの事を申したんですけれども、ほんとに信心がでけておる様であってもです、ほんとに事に直面した時に、私の信心の内容、心の内容が、どの様」であるかと言う事を、見る時にです、信心がでけていないのにお互い驚くでしょう。
 日頃信心を頂いておくと言う事が有り難い。亡くなりました日も又午後からも参って、あの嫁やら兄弟達がお礼に出て来ました。明くる日からやっぱり朝の御祈念に参って来ます。昨日もそして今日も。家ではそういうてんやわんやの中にあってもです、もうとにかく神様を外されないのである。
 昨日嫁ごが参って来てから、お届けをしておりました。お父さんと私、家族の者はどうでも改式のおかげを頂いて、ここで告別式のおかげをして頂きたいという願いを持っておって、お願いさして頂いておったけれども、親戚の方たちがいろいろとこうある。しかも、おまやぁあげん一生懸命参りよってから、教会で亡くなる、てんちゅうような人がやっぱりあるのです。
 ですからね例えば嫁ごが昨日お届けしておるのにです、もう親先生信心の有難さが始めて分かりました。お父さんが合楽合楽と言うて参ります、そして何時も私に言うてくれた事はですもう馬鹿になれ、馬鹿になれ、阿呆んなっとけ阿呆んなとっけと。親先生も馬鹿と阿呆で道を開けたとおっしゃるのだから、馬鹿んなれ馬鹿んなれ、阿呆んなれ阿呆んなれが口癖でした。
 ですから私は主人に勿体無いことですけれども、今から考えて、もうあなたばっかりはもう馬鹿の一つ覚えんごとそれだけしか知らんとですかち言よった。ところがね、もう今の私はもう、馬鹿と阿呆にならなければ、ここ一二三この三日間がです、もうとても、もうやってはいかれない。心に起きて来ると、矢張り自動車を借ってはお参りをしとる。
今日もお母さんと三人で参って来ておる。今日はお父さんが総代をしとりますから、ちょっと玉串を上げておる。
 昨日一昨日、一昨昨日、息子が亡くなったから。しかもね、それこそ例えば信心がでけておる様にあっても、いよいよの事に直面した時です、言うならこの饅頭はおいしかりそうにしておるけれども、割ってみたところが中は餡がちょこっとばっかり、おちゃぶくしとった、と言う様にもある。見かけはそうでもないけれども、割ったとこが餡子がいっぱい、美味しい饅頭であったと。割って見なきゃ分からん、その事に直面して見なければ、分からない。
 だから惟は人間だからこの位の事は当たり前じゃ済まさずに自分の頂いておる信心がこの暗いな事だと、分からして頂いて一段と信心を進めて行かなきゃいけん。亡くなりました日にもすぐあちらの方へ連絡取りましたから、お父さんと嫁がすぐ走ってやって来ました。自動車でそして私が今日はもう大変な事でとこう言うたら、お父さんがもうしまえとりますかとこう言う。もうその一瞬顔色がそら変わるのが当たり前一人息子もう合楽でこの人んごとよか人間はおるめち、信心も熱心だがもう親孝行で評判でした。
 けれどもです、お父さんの口を付いてその次に出た言葉はどう言う事であったかというとです、親先生おかげを頂きましたと言う事でした。お母さんがそばで涙を流しとりましたら考えてみれ、親先生のお膝元でお国替えを頂くちゅう、こげな有り難い事があるもんかと申しました。そしたら私の心眼に頂くとがですね、「御教えを思う」と頂きました。御教えを思うと頂いた。しかも思うという字がね、田という字を書いて、下の方へ心ていう字を頂いた。
 これは田と言う事は田んぼの田、これはおかげの受け物、そういう心の状態こそがです、おかげを受け止める、おかげをキャッチする、そういう時に力というものは、徳というものは受けるもんだ、もうその時にこうやって、しだごだであったら、おかげは頂いてもそりゃ大した事にはならん、おかげを頂いてもお徳にはならん、日頃頂いておる信心がそういう時にものを言う。
 御教えを思うその思うという字を、田を書いて下に心と頂いてその時点時点をね、有難く受けさせて貰うと言う事が有り難いのです。これがおかげにならんはずはない。信心しとるから雨も降らん風もふかんかじゃない、吹くけれども降るけれどもその時点時点をです、その都度都度をですそこを合掌して受けていく信心の稽古を、日頃していわゆる日に日に生きるが信心と言う様な信心をさせて頂いておらなければ、これ程信心するのにどうしてと言う様な、神様に不足がましい様な事に成って来るのです。
 私は信心が有り難いというのはそれだと思うんです。私自身もそれでした。七カ月の間に兄弟三人の葬式を致しました。一番最後に妹の婿を亡くしました時なんかは、胸の病気でしたから、もう誰もかもうてくれる者が御座いませんでした。私は車力に乗せてから、火葬場に自分で運びました。焚物を持って来ましたら、こげな焚きもんでは、燃やされんちゅうた。ほりからもう、また帰ってから、あの時分はもう割り木なんか買うのは御座いませんでしたから。
 まあ近所に言うて分けて貰って、またその火葬場に行くと言う様な所を通らせて頂いたけれどもです、成程その事は苦しい事であって、又悲しい事であったけれどもです、その事のおかげで、私の信心はいよいよ何か油に火を注ぐ様にです、私の信心は燃え立っていったです。そういう言わば基礎基盤というものがです、合楽の信心の基礎になっておるのです。ですから御霊様たちにあの時ああだったけれども、こういうおかげを頂いて今日沢山の人達が助かる、言わば様な事にも成っておると言う事がです。
 御霊様にお礼を申し上げる時に、御霊様も生きて来ると言う事になるのじゃないでしょうか。昨日は竹内先生の所のお婆さんの密葬で御座いました。若先生と私と二人であちらに参りました。もうほんとに日頃のお婆ちゃまの徳というか、もう大変盛大な密葬でした。そうです、もうとにかく自宅から火葬場まで正装をした人がずっと並んだそうです。いわゆる伊万里市民の、市長さんのお母さんという訳でもありましょうけれども、日ごろのお婆ちゃんの矢張り生き方が素晴らしかったからだと、私は思います。
 あの様にお湿りであった、けれどもいよいよ出棺という時には、お天気になった。若先生達もほんとに感動して翌日帰ってまいりました。告別式を明日、ここで私が奉仕させて頂く事になっておるね、熊本時代の不遇時代、そして伊万里にこられて伊万里の助役時代、まだまだ市長と言う事は、思はなかったけど、神様がどうでも今度は出馬と言う事であった。おかげを頂いた当選した。お婆ちゃんがそれこそ女手一つで、あの一人息子さんを、娘さん方はおられますけれども、息子さんをあそこまで育てられた。
 そしてまあ言うならば市長の栄誉を頂かれて、お婆ちゃんも喜ばれ、安心さして頂いて、そしての九十二才ですか、でのお国替え。もうほんとに有り難いお国替え。それも有り難いならやっぱこれも有り難いんです。悲しいです。そりゃもう目の前が真っ暗なる様にあるです。けれども日頃頂いておる御教えが、そう云う時に出て来る。おかげを頂きまして有難う御座います、これが第一声だったんです、堤さんの。
 例えば一週間も十日も、例えばいくら御大祭であっても、まだまだご覧の様に体も半身が不自由であんなさいますから、ご無礼しても良いのだけれども、いやぁ総代として玉ぐしだけ、今朝からあの、娘とお母さんが参って来ました。主人が申します、ご大祭の玉串だけでも上げさせて頂かにゃといよりますからと。私信心の有難いと言うのはここだと思うんです、皆さん。必ずお互いがです、一辺は必ず死ななければなりません。若いからとか年取っているからとか、いや死ぬるだけの事じゃありません。
 何時どの様な事が降るやら照るやら分からんのです。ですから何でもない時に、自分の思う様になる時だけが有難いのであって、思う様にならん時に苦しいとか悲しいとかと言っとたんでは、信心の値打ちはない、それでは日に日に生きるが信心になってはいないと言う事。私も長い二十数年間のお取次ぎをさせて頂いてから、段々もうそれこそ一年一年有難うなって行く自分、またその有難うなって行く有難い事が多くなっていく私。信心は矢張り一年一年有難うなって行かなければだめです。
 その中には、それこそ血の涙の流れる様な事も、いうなら悲しい事も痛い苦しい事もあったのですけれども、その事の時にです、私はもう自分ながら、不思議なくらいにおかげを頂いたんです。昨日の朝の御祈念に、春風亭柳風と頂いたんです。どう言う事じゃろうか、なんか噺家の名前のごとある、どう言う事だろうかと思うたら、私の心の中を表現して下さった。春風駘蕩という言葉がありますね。
 何時も春風がそよいでおると言った様な、春風何時も春風の様な。しかもどう言う様な事があっても、それを柳に風として受け流して行かれる心の状態というものが、何時の間にか育っていると言う事が有難い。有難いなぁどう言う様な難儀な中にあっても、こういう心の状態が頂けれる道なんです。しかもその有難いというものには、おかげが伴うてくる道なんです。
 こういう有難い道を誰にも分かって貰いたい、かれにもほんとに分かって貰いたいという思いが切ですけれども、いくら卓を叩いてそれをそんなら、分かってくれというても、分かるという気にならなければ出来ないのです。先日私はあるご本を読ませて頂きよりましたら、親鸞上人様の事が書いてある。三十五才で流罪になられる。越後の国に、そういう厳しい難儀に直面されても、親鸞上人様の心の中には有難いものでいっぱいであった。庵を結ばれて、朝から晩まで南無阿弥陀仏のご修行である。
 しかもこの様な有難い心の状態になれれると言う事をです、皆んなが求めて話を聞きにくると思うておったけれどもね、この里には親を亡くした子はないものか、こういう有難い実りの、いわゆる御教えを聞きに来る者が一人もないが、と悲しまれたというお歌が、この庵の横に、小さい石塚になって出来ておるという話で御座います。人間という者は、いや信心というものはです。
 どの世の中にあっても有り難い、こういう有り難いて、親を亡くした子は居ないのかと、おるに違いはないけれど、悲しんでおるだろうけれども、それを悲しみから喜びに変えていく道があるのだけれども、その道を聞きに来るものも居ないと、いうならば淋しく悲しんだ私は言葉であると思うです。キリスト様も言うて居られました。聖書の中にわれ笛吹けど人踊らず、というておられます。
 奇跡だおかげだと言う事だけには皆寄って来るけれども、ほんとの信心、人間が心から助かられる道を、というものを、皆が求めようとしないという私は悲しい表現だと思う。われ笛吹けど人踊らず。教祖の神様は、親の心を子知らず、神の思いを人知らず、と嘆いておられます。親の心が分かったら、親不孝はでけん、神様の思いが分かったら、その思いに添い奉らなければおられないのが信心だ。
 御教えの全てが、その効なのだ。私も思う。例えばこういう難儀な問題に直面しても、私の心の中には春風しかも、柳風の様な状態でおれれると言う道があるのだ。清さんが亡くなられる時に、今三十分の御理解が十五分になっとります。二十何年間、三十分お話聞いて頂いた。今は十五分間、丁度半ばでした。けれども私は、ざわざわしておるのを、とどめて矢張り十五分間お話をさして頂いた。
 後で皆さんがもうおかげ頂いて、もうああいう大変な事の中に、親先生が何時もと同じ様にお話下さったと言う事が有難いというて皆が、おかげ頂いた。是は私の心の中に、言うならば春風柳風、いやその事がどの様な事であっても、それがおかげになるんだという確信があるからです。はぁどうしようかと、こちらが取り乱す様な事がない道が、そういうおかげの頂けれる道があるんだ、そこで親鸞上人様ならずともです。
 私もこういう有り難い道をです、私が一人一人に頭を下げて、どうぞ金光様の信心をして下さいと言うて、いうならばです、信心するというなら、私は頭を下げて回りたい思いがする。もし三味線太鼓で宣伝して回って人が付いて来るなら、本当に三味線太鼓で宣伝して回りたい程しの有難い物をです私は心に感ずる。そこで親鸞上人様といいキリスト様といいです、教祖金光大神といいです、そういう助かりを頂いておる者の悲しみと云う事だと私は思わせて頂いた。
 そういう助かりを頂いておる者の悲しみ、こういう信心すればこういうおかげを頂けるんだと、助かった者の悲しみ、それが悲しいまでに、今の例えば私の場合には、和賀心時代を作ると言った様な大変な大きな事に取り組ませて頂いて、一人でも自分の心の中に、和賀心を広げていこう、そして自分の周辺にもそれを広めて行こうという、ささやかな運動ですけれども、運動が展開されておる訳であります。
 お互い信心をさして頂きましてね、信心が停滞する、その辺の所で腰をかける。さあそこからが大事な所だというときに、信心がもう分かったと言う様な顔をする。先日の御理解の中に、三宝様を踏むな、三宝様を踏むと目がつぶれる、という御理解がありましょう。その三宝様と言う事を、穀物の意と説明して御座います教典には。けれども私はその時に、その後理解を頂かせてもらって、これは成程穀物を、例えば踏んづけたりすると目が潰れる、なんて子供ん時から言われておった。
 けれども是は矢張り、仏教から出た三宝だと思います。それもある、これもやっぱあるのです。教祖様がその仏教的表現もいくらもなさっておられますね。無常の風とか、色々ですから当時仏様も拝まれ、神様も拝んでおられたのですから、お釈迦様の教えの言葉なんかが出てくるのも当然だと思うです。三宝様を踏むな、三宝様を踏むと目がつぶれるぞと、人から先生先生と言われる様になると、人に頭を下げる事を忘れる。
 三宝様は稔るほど頭を、かがんでいく稔れば稔るだけ頭が下がっていくんだけれども、信心が解れば解るだけ、頭が上がって行くというのは、言うならば頭で分かって行きよるというだけで実がないから、実がないからそげんとがいよいよん時になって見ると、こう饅頭が半分に割ってみると、中からおちゃぶくいたごたもんしか出てこん、はあ言うこつだけは、もう大先生のごた言わっしゃる。ばってんいよいよん時には、言うならば、慌てふためかなければならんというではです、これは考えなきゃいけない。
ね、信心する者は、これから先度の様な事が起こって来ても驚かないで済むだけの信心を頂いておかなければならない。いやそういう時こそ、徳を受けるチャンスであり、力を受ける機会を与えて頂いておるのですから、そういう時によろよろしたんじゃ、惜しい事です。三宝様を踏むと目がつぶれる、仏教で言う三宝さんというのは、仏法僧と言う事だそうです。仏というのは仏、いうならば仏を拝むと言う事なんです。法というのは教え、法の道、教えを頂くと言う事だそうです。
 段々信心が解って来ると、神様はもういっそ、吾と共にありぐらい言うちから、拝む事すらよう拝まん。私共はここに十二時過ぎ必ずお礼に出て来ます。もうちょいと、お礼さして頂く積りですけれども、さあここへここからですけれどもね、頭を下げたら頭を上げられんごと有難い。拝む事がね、もう簡単になる様になった時には、もう信心が枯れかっかとる時です。次にはです、教えを頂くて言う事にです、例えば教えを頂くというときに、眠気どん付く時にはです、やっぱ、ちょっとおかしい。
 私は思うですね、毎日毎日朝の御理解をこうやってテープに取ってあるから、皆が必死で頂いておる。そして参って来た人でです、もうこげなこつやっちゃならないと思う人がです、もうつっとそこは素通りして帰って行く人がある。こらこらと呼び止めたいごとある。けども呼び止めてから聞かせたんじゃ仕方がないですから、自分自身の心にも親先生の言わっしゃるこつは、何時もおなしこつという風な頂き方をしてるからなんです。仏法僧の法というのは教えを頂くというね。
 いわゆる求道心が無くなったら、もう信心いわゆるこの仏法僧というね、三宝というのは、仏教の信心の生命だと言われておる。こりゃ金光教だっておんなし事だと、僧というのが、いわゆるお坊さん、教えを受ける人、又は人間関係、様々な、人間を大事にすると言う事。まあお道の信心で言うならば、お取次の先生を金光大神と拝ませて頂けるという事。だから、もう先生を軽う見るようになったら、先生はあげん言いなさるけれども、と言うごつなった時にはもうう仏法僧の僧は消えた時なんです。
 成程私どんぐらいな奴じゃ、やっぱ拝みもするまいけれども、拝みゃ拝みゃ出来まいけれどもです、拝ませて頂こうと精進する事なんです。そういう仏であり、法であり僧である。いわゆる神様を拝まなければおられない。教えを頂かなければおられない。親先生を有難く、神様として頂かなければおられないと言う程しの信心が、例えばその信心の筋金になってまいりますならば、もういよいよ一年一年有難うなって行く事でしょう、一年一年また有難い事が多く成って来るおかげが、頂かれる事は間違いありません。
 折角お互い信心させて頂くですから、私がほんとに皆さんの前で手を着いて、どうぞしっかり拝んで下さい、信心して下さいと言や、ほんとの信心を分からして下さいと皆さんが言うなら、私はそうしてもいいと思う。ですからお互いがです、ほんとに、いわゆる真の信心を頂こうという、意欲に燃え立たなければならん。そこにです、形のお繰り合わせより、心のお繰り合わせを願わなければならんと言う事が分かります。
 心のお繰り合わせを頂いて、それこそ堤さんとこの嫁じゃないけれども、もうあんたばっかりは、もう馬鹿の一つ覚えん事、とこういう、ま思うておったけれども、いよいよ主人が亡くなってみて、その言葉の素晴らしかった事に驚いてしもうて、改めて、恐らくは是からは、この馬鹿になって行く事が、阿呆になって行く事が、これから随分の荒波、荒い世間の風にも当たって行く事でしょうけれどもね。
 ここに本気で、馬鹿になる、あほになる稽古をさして頂くと言う事は、いよいよおかげの受け物が大きくなると言う事なんです。そしてそれが気にならん事になって、いやそれがです、おかげの元になり、力の元になる体験が生まれて来るんです。ですから、おかげを頂かして貰う。そういうおかげを頂きたい。今日は朝の御祈念、御理解ん時にね、申し上げまつらく、と頂いた。
 祝詞言葉です。祝詞の中に申し上げます事はと云う事、申し上げまつらくは、それをね申し上げまつらくと言う事は、末の楽と頂いた。言うならば、日々お取次を頂いて、金光大神に申し上げたら、どんな心配であってもです、もう親先生にお取次を頂いたのであるから、後は右左はもう、神様任せ、親先生任せ、という気持ちで帰れれる心が、まつらく、末は楽だ。
 ですから私共がね、信心して一番有難いと言う事は、お道の信心お取次を頂く、そこに心配はもう解消しておる。と同んなじ様な心の状態になる事を、願わなければならないと言う事です。はぁそうだな、お取次を頂いて、心配はここへ置いていってしまわれると言う事が有り難い。それを又、皆心配を持って帰る。これではおかげにならんです。そしたらね、その申し上げるというの申すという字の上に出とっ所のこうして消して見せて下さる。どう言う事になりますか。
 申すという字の上ばちょっと消して見て御覧、甲という字になりましょうが。甲乙丙丁の甲、申し上げる、甲の上と言う事になるでしょうが。私どんが小学校ん時に、ちっと良かったら、甲の上じゃった。お互いの信心がどうだろう、ま乙位の所、いや丙丁いや落第点と言う様な事じゃないでしょうか。お取次を頂いて申し上げたら、そのままお取次を頂いた神様が聞き届けて下さったと、右左あなたにお任せして帰れる様な心の状態が、お道の信心をさして頂く者の甲の上だとい意味なんです。
 お互い自分の胸に手を当てて、分かる事は分かっておるけれども、果たして点数をとって見たらどの位の所だろうかと思うて見て、丙の位ならば、乙の位に、乙の位なら甲の位にならして頂けれる精進こそが、信心だと思うのです。そういう信心を、私は日に日に生きるが信心なりと言う事だと、今日は頂きました。どうぞ皆さん、折角この様な有り難い神様を頂いておるのですから、ほんとに有難い。
 堤さんじゃないけれども、一人息子のしかも親孝行の息子の、しかも家の中で中心になって働いておる息子が、しかもお参りをして亡くなっておっても、おかげを頂きましたと言えれる信心を、皆さん頂いておかなければ、ばからしいです。そういう言うならば、道を教えて下さるのが、御教えなんです。教会なんです。どうぞ一つ御大祭を境に、なにおか一つここに、私のものにさせて頂かなければ。
 ただ御大祭を盛大に頂いたというだけでは、楽人さん達が申しておりますように、一月も前から一生懸命修行さして頂いた。しかも思いもかけない見事な琴が六面のお供えが来た。しかも自分で弾きながら、または舞いながら、言うならば、ほんとにおかげ頂いたぁという心がです、もうそれが有りがた涙になって、それは彼、彼女達の、言うなら彼たちの有難涙ではなくて、神様の有難涙である、だからそれを頂かせて頂くと言う事がです、信心だと言う風に思うのです。